明石家さんま

明石家さんま(あかしや さんま、1955年7月1日 – )は、日本のお笑いタレント、司会者、俳優、歌手、ラジオパーソナリティー。本名は杉本 高文(すぎもと たかふみ)。タモリ、ビートたけしと共に、日本のお笑い芸人BIG3の1人として称される。「さんま」という芸名は、さんまの実家が水産加工業を営んでいたことから命名された。


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生きる

・生きてるだけで丸儲け。
(娘の名前「いまる」は、さんまが座右の銘とする「生きてるだけで丸もうけ」から名付けられた。)

・紳助、お前は一体、何が不満なんや? 確かに俺らは、まだ大成功はしてへんよ。でも、一応飯だって食えるし、狭いながらもこうやって部屋だってあるやないか? それに、俺達は好きなことやって毎日くらしてるんやぞ。俺なんか、いつも生まれてきただけでまる儲けと思ってるよ。

 ・「人生、生きてるだけで丸儲け」 結局そこに行きますね。 もう、すべての人が、 服一枚着てた時点で勝ちなわけですから。

・いっぺん夢中で生きてみい。毎日が夢中や。

師匠 笑福亭松之助

掃除はどうしたら楽しいか考えろ

・我々の弟子稼業というのは、掃除をさせられるじゃないですか。で、掃除をしていると師匠が、『それ、楽しいか』って言うんです。『いいえ』って答えると『そやろ』って。『そういうのが楽しいわけがない』と、おっしゃるんですね。そのときに、師匠に、『掃除はどうしたら楽しいか考えろ』 って言われたんですけど、そこでしたねぇ。あの、掃除なんて、楽しくなるわけがないんですよ。 ところが、『楽しくなることを考えてることは楽しい』。っていうところにね、18歳のときに気づかせていただいたのが非常に助かりましたね。たぶん、ふつうの人は、「掃除は楽しくない」 というところでやめてしまう人が多いんじゃないかと思うんですけど、楽しくないものをどうすれば楽しいか、ということを考えていくと楽しいんです。 (高校3年18歳のときに笑福亭松之助に弟子入りした)

人を笑わせて何になるんですか

・毎日放送ラジオ「MBSヤングタウン」で語っていた話。

ある時、松之介に「師匠、人を笑わせて何になるんですか」と尋ねたことがある。松之介がただ笑っているだけだったので、「なんで笑ってはるんですか」と聞くと「わしも若いころ、同じことをわしの師匠に訊いたことがあるからや」と答えたという。その時は、質問への答えの内容については「忘れた」とはぐらかしていたが、後日「悲しいことがあったり元気がなくなったりしている人が、落語とか聴いて、ちょっとでも気持ちが楽になったら、それでええ」という答えだったらしい。

笑い

・正解が一番つまらんのや。

・笑いのストライクゾーンはストレートを投げてファールを打たせるのが一番エエから。

・バラエティに感動の涙は要らんねん。芸人は笑わせて涙流させな。

・俺は幸せな人を感動させたいんやなくて、泣いてる人を笑わせて幸せにしたいんや。これが俺の笑いの哲学や。

・暗い人がちょっとでも笑うように、なるべく俺が出てる限り明るい画面を、お届けしたいという、そういうポリシーで生きてるから。

・何言うてんねん。 俺らは楽しそうにみせてナンボやろ。真面目なとこなんか見せてどないすんねん。

・お笑いは争うもんちゃうねん。その人が一番面白いと思ったらそれでええねん。

・追いつめられた時には、追いつめられた時なりのギャグいうもんがあるんですわ。人間、どんなに沈んでいても笑うんです。葬式の日でも絶対笑えるんですわ。こらスゴいことですよ。でもホント。

努力

・勝ち負けは、努力の要素で左右されるほど甘くない。

・努力は必ず報われると思う人はダメですね。努力を努力だと思ってる人は大体間違い。好きだからやってるだけよ、で終わっといた方がええね。これが報われるんだと思うと良くない。こんだけ努力してるのに何でってなると腹が立つやろ。人は見返り求めるとろくなことないからね。見返りなしでできる人が一番素敵な人やね。

悩む 落ち込む 悩まなければ進歩しない

・俺は、絶対落ち込まないのよ。落ち込む人っていうのは、自分のこと過大評価しすぎやねん。過大評価しているから、うまくいかなくて落ち込むのよ。人間なんて、今日できたこと、やったことがすべてやねん。

・人間は悩む。悩みからどのように開放されるかを求めるけれども、悩むこと自体素晴らしいことで、悩まなければ進歩しない。悩むという言葉を一般的にはマイナス、ネガティブな言葉として捕らえがちなので、悩むという言葉をもっとポジティブな言葉にできないかと考えているところです。

・落ち込みやすい体質とは感謝の足りない姿勢が原因。

頭の中と現実を入れ替えろ

・あのね、ロシアの哲学者かなんかがね 「夢と現実を入れ替えろ」って言ってるんですよ。そうすれば人生楽になるっていう、置き換えるだけで楽になるんですよ。だから、ポジティブな人って、いつも頭の中ではいいこと考えてて、現実にイヤなことがあったって、 あの、べつにいいんですよ。いいことばっかり考えて、それを現実に置き換えたら、すごい幸せな人生になれるという。これはでもね、 簡単ですし、みんなすべきですね。あの、楽しいことを考えて、 楽しくしようとして、 ダメなときにもそうやって楽しめるって、 ものすごく大事です。ものすごく大事で、楽です。
出典 ほぼ日刊イトイ新聞「さんまシステム 明石家さんまの睡眠論」

・この世は夢やねん、頭の中が現実や。そう思ったら少しは楽になる。あとは不幸をどれだけ笑いとばせるかや。

逆境 わざと打たせたボディは効かない

・やっぱりぼくらはね、期待されたかと思えば、そっぽを向かれる。そういう人のイヤなところがもうのすごくよく見える商売なんですよ。だから、その、ダメになったときの、人の手のひらの返し方とかを目の当たりにするんですよ。いいのが続くわけないですから。ダメなときもあるんです。もう本当にギャンブルの『流れ』はね、お笑い芸人の人生にはかなり役に立つ。もう、それはね、いってみれば、『ダメなときにどう止めるか』これだけなんですよ。負け分をどうおさえるか。そこはもう、テクニックもあるし、計算もあるんですけども。ぼくがいちばん、胸に刻んでいる名言があって、ジョージ・フォアマンとモハメッド・アリが試合したときにアリが言ったんですけど、『わざとボディを打たせるんだ』と。どういうことかというと、『わざと打たせたボディは効かないんだ』というんですね。これはかなり、役に立つんです。とくに、お笑い芸人とかタレントにはたぶん、必要なことばだと。やっぱり、『あかん』というときはなにをやってもダメなんです。そういうときには、打たせなきゃいけない。わざと打たせたら、耐えられるんですよ。ところが、『オレは大丈夫だ』と思って、行って打たれると、効くんですね。さすがモハメッド・アリっていう。

その他

・20代の借金は貯金や。

・やさしさを持った人は、それ以上の悲しみを持っている。

・職場に好きな人を一人作ると、仕事行くのが凄く楽しくなるんよね。

・「おまえ、最近調子に乗ってないか?」という先輩の叱責に若き日のさんまは「はい、調子に乗らせてもらっております」

・親友になるためにはお互いに秘密を共有をする暴露合戦をやる。そうすればそれが抑止力になり仲悪くできなくなる。これが親友を得る一番の方法。

・何とも思われないよりは嫌われるほうがマシ、好きに変わる可能性が残っているから。

・おまえはホント、自分のうまさにつまずくタイプやろね。

・結婚はゴールではない! スタート! しかも途中から障害物競争に変わる。

・追い詰められなきゃダメなんですよ、なんでも仕事は。ゆっくりやるとロクなことないですね。

・死ぬときにわくわくしたい。

・緊張しない人はダメやから。緊張する人が成功する。こういうテレビとか舞台とか立つ人は、もう殆ど、有名になった人は緊張する人ですね。

・やろうとすれば出来んねん、人間みたいなもんは。

生い立ちと「生きているだけで丸もうけ」の意味

昭和30年、高度経済成長期の真っただ中に明石家さんま(本名:杉本 高文)は和歌山県で生を受けた。次男。

・幼少期、父親か祖父の事業の失敗で和歌山を追われ奈良に住む。父親はさんまの加工業を始め、借金もあり仕事を軌道に載せなければならないため不眠不休で働いた。
出典 yahoo知恵袋 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1138301621

さんまの実母は、彼が三歳のときに病死。

その後、父親は再婚。継母に連れ子がいたため、さんまに年の離れた弟ができる。

さんまの兄 杉本正樹 – 幼少時代のさんまについて

さんま 兄 杉本正樹
http://xn--q9jb6c8bj5752g.biz//HLIC/ddc75c3d3f373e7d507a5a762e2a6a9c.jpg

「さんま実母は彼が三歳のときに病死している。(さんま兄が)小学校高学年の時に父が再婚、さんまには年の離れた弟ができた。「中学生くらいの頃は娯楽といえぱ、三枝(文枝)のラジオ『ヤングタウン』でね。二段ベッドでいつも二人で聞いてたんです。新しい母には遠慮もしたし、やっぱり反発もあった。その母が昔、隣の部屋で酒を飲みながら『うちの子はこの子(弟)だけや……』って言うのが壁伝いに聞こえてきたんですよ。二人でよう二段ベッドで泣きましたわ。せやから高文は酒飲む女の人が苦手なんです。芸能界行くまではほとんど飲まなかったし、今も本質的に酒は好きじゃないと思います。」
出典 週刊文春 2012年8月16日号

継母はずっとさんまを完全無視して、まるでさんまがそこにいないかのように弟にばかり話しかける。さんまはそれでも継母に仲良くしてもらおうと、毎日必死で面白いことを考える。

そのうち学校でもその調子で暮らすようになって一躍人気者になり、お笑いの道へ。

1974年2月、高校3年の時に2代目笑福亭松之助に弟子入りする。

弟の死

1983年、さんまが28歳の時に弟(19歳)が焼死。奈良新聞は焼身自殺と報道。当時のさんまは冠番組を持つほど人気があった。

明石家さんま
「ぼくのことを、昔から、すごく尊敬してくれるやつでね。ぼくがいうことは、すべて正しいと思っていたみたいですよ。自分にも、それから他人にも、素直に自分をさらけだせるやつでしたね。ぼくもサッカーやったけど、チビのほうがすごいんですよ。サッカー部のキャプテンで、インターハイにも出たし、国体選手にも選ばれたしねえ……。去年の10月、大阪のぼくのマンションに遊びにきたとき、今度のワールド・カップをふたりで一緒に見に行こう。キップはぼくが買っとくからって、約束しとったのに……。まだ納得できません、あのチビが死んだなんて……」

同期であるオール巨人がこんな一言を舞台上で放った。

「お前んち、兄弟焼いたらしいな?」普通の人間なら笑えない冗談だ。怒り出すかもしれない。しかしさんまはこう返答した。「そや、木材が切れたから焼いたんや」彼が生粋のお笑い芸人である事を自分自身にさえ知らしめた出来事だった。そして、彼を生粋のお笑い芸人であると信じ切っていたオール巨人の一言だった。舞台終りに彼はオール巨人に対してこう言ったそうだ。「ありがとう。これで芸人やめんですむわ」 そう涙を流しながら言ったそうだ。

1985年8月、日本航空123便墜落事故でさんまは死ぬはずだった

日本航空123便墜落事故は、1985年8月12日月曜日18時56分に、東京(羽田)発大阪(伊丹)行同社定期123便ボーイング747SR-100が、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根に墜落した航空事故。乗員乗客524名のうち死亡者数は520名、生存者は4名であった。死者数は日本国内で発生した航空機事故では2014年4月の時点で最多であり、単独機の航空事故でも世界最多である。

さんまは当日、東京のフジテレビで「オレたちひょうきん族」の収録後、当便で大阪へ移動し、毎日放送「ヤングタウン」に出演予定であった。だが、たまたま「ひょうきん族」の収録が予定よりも早く終わったために、123便をキャンセルし、ひとつ前のANA35便と推測される便で大阪に向かい難を逃れた。さんまは、事故当日の生放送のラジオレギュラー番組では言葉を失うほどのショックを受け、番組をこの事故の報道特番に切り替えた。さんまはこの事故をきっかけに、新幹線で行ける範囲の場所(東京~大阪の往復など)へは飛行機ではなく新幹線を利用するようになる。

犬に咬まれた傷と母親

菅賢治(テレビプロデューサー)の話

さんまさんの心の隙間を垣間みた瞬間が、一度だけある。それは、アメリカへ向かう飛行機の中だった……。そのときボクは、さんまさんと二人で、お互い好きなアメリカンフットボールのスーパーボールを観に行こうと、アメリカ・ミネソタ州に向かっていた。「……なあ菅クン、見てみ~この傷」 突然さんまさんが右腕を突き出した。そこには、犬に咬まれたらしい、鮮烈な傷が、ありありと残っていた。べつに、ボクが「その傷、どうしたんですか?」と聞いたわけでもなく、さんまさんもいままで言いそびれていたふうでもない、ごく自然な感じで、さんまさんが話しはじめた。「じつはな、オレ、三歳のときに母親死んでるんよ……。だから母親の記憶、まったくないんやけど、母親の葬式の日に、飼ってた犬に咬まれたのだけはよく覚えてるんよ。これが、そのときの傷なんだ……。ふだんおとなしい犬で、一度も咬んだことあらへんのに、はじめて咬んだ傷が、いまでも残っとるんよ。なんか母親が、“私を忘れないで”って残してくれたような気がして……」 とくに悲しそうにでもなく、いつもの自然体で、そう聞かせてくれたさんまさん。「そんな悲しみを心に抱えながらも、いつもあんなに明るく生きている人なんだ」と、ボクはさんまさんのことがよりいっそう好きになった……。

出典 菅賢治「菅ちゃんの笑ったもん勝ち」上巻(1996年 ごま書房)198ページ
http://plaza.rakuten.co.jp/satoushin/diary/201101030000/

 - お笑い・コメディアン

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